電力系統における水素貯蔵の柔軟性向上機能:政策的意義と導入促進に向けた課題
導入
近年、再生可能エネルギー(再エネ)の導入が世界的に加速しており、電力システム全体の脱炭素化に向けた重要な柱となっています。しかし、太陽光や風力発電といった主要な再エネ電源は、気象条件によって発電量が変動するという特性を持っています。この変動性は、電力系統の安定運用に新たな課題をもたらしており、需給バランスの維持や周波数安定化といった系統の柔軟性を確保することが喫緊の課題となっています。
こうした背景において、水素貯蔵技術は、電力系統の柔軟性向上に貢献しうるポテンシャルを持つ技術として注目を集めています。本記事では、電力系統における水素貯蔵の柔軟性向上機能に着目し、その政策的意義と導入促進に向けた課題について、政策担当者の視点から検討を行います。
電力系統における柔軟性の重要性
再エネの導入拡大に伴い、電力系統において要求される柔軟性のレベルは高まっています。具体的には、以下の機能が重要となります。
- 需給調整能力: 発電量や需要量の急峻な変動に対して、供給力を速やかに増減させる能力です。
- 周波数調整能力: 系統周波数を基準値に維持するため、リアルタイムで供給力と需要量のバランスを微調整する能力です。
- 非需給連動系統対策: 再エネの出力抑制( curtailment)を回避し、電力ネットワークのボトルネックを解消する能力です。
- 長期的な貯蔵能力: 季節的な変動や予測困難な需給ギャップに対応するため、エネルギーを長期間貯蔵し、必要に応じて供給する能力です。
これらの柔軟性機能は、電力系統の信頼性維持、再エネの最大限の活用、そして系統増強コストの抑制に不可欠です。
水素貯蔵が提供する柔軟性機能
水素貯蔵は、その特性から電力系統に対し多様な柔軟性機能を提供できる可能性があります。
- Power-to-Hydrogen(P2H)機能: 再エネの余剰電力を用いて水を電気分解し、水素を製造することができます。これにより、再エネの出力抑制を回避し、エネルギーを水素という形で貯蔵することが可能です。
- Fuel-to-Power機能: 貯蔵した水素を燃料として、燃料電池や水素タービン等を用いた発電を行うことで、必要に応じて電力を供給することができます。これは、系統の需給調整や周波数調整に貢献しうる機能です。
- 大規模・長期貯蔵のポテンシャル: 既存の天然ガスインフラ(パイプライン、地下貯蔵施設など)の活用や、新規の大規模水素貯蔵技術(塩丘貯蔵、液化水素貯蔵など)の開発により、既存の蓄電池技術と比較して、より大規模かつ長期間のエネルギー貯蔵が実現できる可能性があります。これにより、日々の変動だけでなく、季節間の需給ギャップへの対応も視野に入ってきます。
- セクターカップリング: 電力部門で製造・貯蔵された水素を、産業、運輸、熱供給など他部門で利用することで、エネルギーシステム全体の効率化と脱炭素化を促進できます。これにより、電力系統だけでなく、エネルギーシステム全体としての柔軟性向上に寄与します。
これらの機能を通じて、水素貯蔵は再エネの有効活用を促進し、電力系統の安定運用に貢献する重要な手段となり得ます。
水素貯蔵の柔軟性機能に関する政策的意義
電力系統における水素貯蔵の柔軟性向上機能は、以下の点で重要な政策的意義を持つと考えられます。
- 再エネ導入目標達成への貢献: 再エネの変動性という課題を克服し、導入目標の早期達成に寄与します。
- 電力系統の最適化: 系統増強の必要性を抑制し、インフラ投資の効率化に繋がる可能性があります。
- エネルギー安全保障の強化: 国内でのエネルギー貯蔵能力を高め、燃料供給の安定化に貢献します。
- 新たな産業の創出と競争力強化: 水素製造、貯蔵、利用に関する技術開発やインフラ整備を促進し、関連産業の育成に繋がります。
- 地域分散型エネルギーシステムの構築: 地域における再エネと水素の連携は、災害時のレジリエンス向上にも貢献しうる可能性があります。
導入促進に向けた政策課題
水素貯蔵の持つ柔軟性向上機能を最大限に引き出し、電力系統への導入を促進するためには、以下の政策課題に取り組む必要があります。
- 経済性の向上と政策支援: 現状では、P2Hシステムや水素貯蔵・発電設備の導入コスト、運用コスト(変換効率の課題を含む)が高いことが大きな障壁となっています。初期導入期においては、補助金、税制優遇、低利融資といった経済的支援策が有効と考えられます。また、系統側が提供する柔軟性機能に対して適切な対価が支払われるような市場メカニズムの設計も重要です。
- 技術開発・実証の加速: より高効率で低コストな電解槽技術(PEM, AEL, SOECなど)、多様な大規模・長期水素貯蔵技術、高効率な水素発電技術の開発と実証が必要です。国内外の研究機関や企業との連携を促進する政策が求められます。
- 規制・制度の整備: 電力システム改革の進展と連携し、水素貯蔵システムが電力系統へ円滑に接続・運用されるための技術基準や安全規制の整備が必要です。また、ゾーニングや環境アセスメントにおける水素関連設備の取り扱いに関する明確化も導入を加速するために重要となります。
- インフラ連携の促進: 電力系統、ガス導管網、水素パイプライン、水素ステーションなどのインフラ間の連携を促進するための制度設計や投資支援が求められます。特に、既存のガスインフラを活用する際の技術的・規制的課題(水素脆化、基準適合性など)への対応が必要です。
- 国際協力の強化: 海外の先進事例に関する情報収集や、技術開発・標準化における国際協力を強化することで、国内政策の有効性を高めることができます。
結論/まとめ
電力系統における水素貯蔵は、再エネ導入拡大に伴う系統の変動性や非調整性といった課題に対応するための有効な手段であり、系統の柔軟性向上に大きく貢献しうるポテンシャルを秘めています。その実現は、再エネ導入目標の達成、系統の効率化、エネルギー安全保障の強化、そして新たな産業育成といった多岐にわたる政策目標の達成に寄与すると考えられます。
しかしながら、経済性の課題、技術的な未成熟さ、規制・制度の遅れ、インフラ連携の難しさなど、導入促進に向けた多くの課題が存在します。これらの課題を克服するためには、技術開発支援、経済的インセンティブ、規制改革、インフラ整備促進、国際協力といった多角的な政策アプローチを戦略的に展開していくことが不可欠です。今後の技術進展や実証事業の結果を踏まえ、政策を継続的に見直し、最適化していくことが求められます。