水素製造・利用設備サプライチェーンの強化:国内製造業の競争力向上に向けた政策的アプローチ
はじめに
水素エネルギーの導入拡大は、脱炭素社会の実現に向けた重要な戦略の一つとして位置づけられています。その実現には、水素の製造、輸送、貯蔵、そして利用に至るバリューチェーン全体を支える高品質かつコスト競争力のある設備の安定供給が不可欠となります。特に、電解槽、燃料電池、水素タンクなどの主要設備は、今後の水素経済の規模拡大においてボトルネックとなり得る要素であり、その製造能力や技術力は、各国の競争力の源泉となりつつあります。
本稿では、水素経済の拡大期において重要性を増す、水素関連設備のサプライチェーン強化に焦点を当てます。国内外における主要設備の製造能力動向、国内製造業が直面する現状の課題を分析し、その競争力向上に向けた政策的なアプローチについて検討を行います。
水素経済を支える主要設備とその重要性
水素バリューチェーンを構成する主要な設備は多岐にわたりますが、政策的な関心が高いものとして以下が挙げられます。
- 水素製造設備: 特に再生可能エネルギー由来の電力を用いた水電解装置(アルカリ、PEM、SOECなど)は、グリーン水素製造能力の拡大に直結します。大規模化、高効率化、コスト低減が重要な技術課題です。
- 水素輸送・貯蔵設備: 長距離・大量輸送のための液化水素タンク、圧縮水素トレーラー、アンモニア・MCHなどの水素キャリア関連設備、そして定置用およびモビリティ用の高圧水素タンクなどが含まれます。安全かつ効率的な設計・製造能力が求められます。
- 水素利用設備: 燃料電池(自動車用、定置用、産業用など)は、水素を電力や熱に変換する基幹技術です。高耐久性、高効率、低コスト化が進められています。産業用バーナーや発電用タービンなど、他の利用形態に関連する設備も重要です。
これらの主要設備の安定供給能力は、水素プロジェクトの実行可能性、導入コスト、そして最終的な水素価格に大きな影響を与えます。
世界における水素関連設備の製造能力動向と競争環境
近年、各国は自国の水素戦略に基づき、関連設備の製造能力強化に積極的に取り組んでいます。
欧州や北米では、大規模な電解槽や燃料電池メーカーが存在し、政府の支援策と連携しながらギガファクトリー規模の製造拠点設立が進められています。特に電解槽分野では、kW級からMW級へとスケールアップが進み、自動化による製造コスト低減も図られています。
一方、中国は水電解装置を中心に急速に製造能力を拡大しており、コスト競争力において優位性を示し始めています。これは、部材調達から組立までの一貫したサプライチェーンの構築や、大規模な国内市場を背景としたスケールメリットが要因と考えられます。
このような国際的な競争環境下で、技術開発のスピードアップと同時に、量産化によるコスト競争力の確保が世界的な課題となっています。サプライチェーンの上流に位置する重要部品や素材(触媒、セパレーター、炭素繊維など)における技術優位性や安定供給も、各国の戦略における重要な要素となっています。
日本国内における水素関連製造業の現状と課題
日本には、長年にわたり燃料電池技術や高圧ガス関連技術を培ってきた企業が存在し、特定の分野において高い技術力や信頼性を有しています。例えば、燃料電池技術や、高圧水素タンクの製造技術などは、世界的に見ても競争力があると言えます。
しかしながら、グローバルな視点での製造能力のスケールアップや、部材を含めたサプライチェーン全体のコスト競争力においては、いくつかの課題が指摘されています。
- 量産効果の遅れ: 国内の水素需要が限定的であったため、設備の量産化が進みにくく、製造コストの低減が十分に進んでいない可能性があります。
- サプライヤー基盤: グローバルな量産体制を支える、コスト競争力のある部材・コンポーネントの国内サプライヤー基盤の育成・強化が必要な分野も存在します。
- 国際標準化への対応: 設備の仕様や安全基準に関する国際標準化の議論に、国内製造業が積極的に関与し、自社の技術を反映させていくことが競争力維持のために重要です。
- 海外市場へのアクセス: 拡大する海外市場において、価格面・納期面での競争力を確保し、販路を拡大していくための戦略が必要です。
国内製造業の競争力向上に向けた政策的アプローチ
国内の水素関連製造業が国際競争を勝ち抜き、水素経済拡大の基盤を支えるためには、多角的な政策支援が求められます。
- 戦略的な研究開発支援:
- コスト競争力の鍵となる部材・要素技術(触媒、電解質膜、高圧材料など)の研究開発への重点投資。
- 次世代技術(例: 革新的な水電解技術、新しい貯蔵材料)の開発支援。
- 製造プロセスの自動化・高効率化に向けた技術開発支援。
- 初期需要の創出と導入支援:
- 公共部門での率先導入や、大規模プロジェクトへの補助金・税制優遇措置による初期需要の確保。これにより、国内製造業が量産効果によるコスト低減を実現するための機会を提供します。
- 国内外での実証事業への支援を通じた、製品の信頼性向上と実績づくり。
- サプライヤー育成と連携強化:
- 国内の多様な産業(化学、素材、機械、エレクトロニクス等)が水素関連サプライチェーンに参入・連携することを促進するマッチング支援や情報提供。
- 中小企業の技術開発や設備投資への支援。
- 国際標準化戦略への連動:
- 国内技術が国際標準として採用されるよう、標準化機関への貢献を支援。
- 国際的な相互認証制度の確立に向けた働きかけ。
- 海外市場展開支援:
- 政府系金融機関による輸出ファイナンスの活用促進。
- 海外展示会への出展支援や、政府間協力による海外市場でのプロジェクト獲得支援。
- 人材育成:
- 水素関連設備の設計、製造、保守に関わる専門人材育成のための教育プログラム支援。
これらの政策を複合的に展開することで、国内製造業は技術優位性を維持しつつ、コスト競争力を強化し、グローバルサプライチェーンにおける存在感を高めることが期待されます。
政策実行上の考慮事項
政策を実行する上では、国際的なサプライチェーン構築の重要性も同時に考慮する必要があります。全てを国内で賄うのではなく、戦略的に国際分業や連携を進める視点も不可欠です。また、政策効果を定期的に評価し、国内外の技術・市場動向の変化に応じて柔軟に見直していくことが重要となります。
結論
水素経済の実現には、高品質でコスト競争力のある水素関連設備の安定供給が不可欠であり、これを担う国内製造業の競争力強化は喫緊の課題です。世界的な製造能力競争が激化する中で、日本が持つ技術力と産業基盤を最大限に活かすためには、研究開発、初期需要創出、サプライヤー育成、国際標準化、海外展開支援など、多角的な政策アプローチが戦略的に実行される必要があります。これにより、国内製造業はグローバル市場での競争力を高め、我が国のエネルギー安全保障と経済成長に貢献することが期待されます。