水素インフラ整備を加速する環境アセスメント・許認可手続きの政策的最適化:国際事例に学ぶ
はじめに
水素は、2050年カーボンニュートラル実現に向けた鍵となるエネルギーキャリアとして、その重要性が高まっています。水素社会の実現には、製造、輸送・貯蔵、そして利用に至るまで、多岐にわたる大規模なインフラ整備が不可欠です。しかしながら、これらのインフラ構築においては、環境アセスメントや各種許認可手続きがプロジェクト推進の大きなボトルネックとなり得るという課題が指摘されています。特に、新規技術や既存インフラとは異なる性質を持つ水素関連設備の場合、現行の規制や手続きが十分に整備されていないことも少なくありません。
本稿では、水素インフラ整備における環境アセスメント・許認可手続きの具体的な課題を整理し、主要国の事例や政策的アプローチを分析します。これにより、日本における水素プロジェクト推進を加速するための政策的示唆を得ることを目的とします。
水素インフラの種類と環境・許認可プロセスの関連性
水素サプライチェーンを構成する主なインフラは以下の通りです。
- 製造設備: 水電解装置、SMR(蒸気メタン改質)設備、DAC(直接空気回収)等によるCO2分離・回収設備(CCUS関連)など。これらは電力供給、水供給、ガス供給、CO2排出(CCUSを行う場合)など既存インフラとの接続や、設置場所における環境影響評価が必要です。
- 輸送・貯蔵インフラ:
- パイプライン: 高圧ガス保安法などの適用、ルート選定における環境・社会影響評価、土地使用権の確保などが必要です。
- 液化水素タンク、アンモニア貯蔵タンクなど: 大規模な貯蔵施設には、消防法、高圧ガス保安法、建築基準法、環境アセスメントなどが関連します。
- 船舶、鉄道、トラックなどによる輸送: 各モードに応じた安全規制や港湾、駅、道路などのインフラ使用に関する許認可が必要です。
- 利用設備: 燃料電池(定置用、モビリティ用)、水素ボイラー、水素タービン、工業炉など。これらは設置場所の規制、安全基準、既存インフラへの接続などが関連します。
これらのインフラは、その規模、種類、設置場所(新規開発か既存敷地内か、市街地か郊外かなど)により、適用される環境関連法規や許認可手続きが異なります。複数の省庁や自治体にまたがる手続きが必要となるケースも多く、調整に時間を要することが一般的です。
環境アセスメント・許認可手続きにおける課題
水素インフラ構築における環境アセスメント・許認可手続きに関しては、以下のような課題が挙げられます。
- 手続きの長期化・複雑性: 既存のエネルギーインフラと比較しても、水素という新規のエネルギーキャリアに対する知見が行政側で十分に蓄積されていない場合があり、審査に時間を要する可能性があります。また、関連法規が複数の省庁・部署にまたがり、手続きが複雑になる傾向があります。
- 新規技術への対応: 水素製造技術(特にグリーン水素関連)、CCUS技術、大規模貯蔵技術など、比較的新しい技術に関する規制や基準、評価手法が未整備であることがあります。これにより、審査基準が不明確であったり、個別の技術評価に時間を要したりする可能性があります。
- 関係者間の調整: プロジェクト立地地域の住民、漁業・農業関係者、自治体、他省庁、インフラ管理者(電力、ガスなど)など、多数の関係者との調整や合意形成が必要です。環境影響に対する懸念や、安全確保への懸念から、説明会や協議に時間を要することがあります。
- 法規制の更新の遅れ: 技術開発や実証試験の進展に比べて、関連する法規制の整備や更新が遅れることが、プロジェクト推進の不確実性を高める要因となります。
- デジタル化の遅れ: 手続きの申請や情報共有において、紙ベースのやり取りや非効率なプロセスが残っている場合、全体のリードタイム増加に繋がります。
主要国の事例分析と政策的アプローチ
主要国では、水素経済の加速に向けて、環境アセスメント・許認可プロセスの円滑化に向けた政策的取り組みが進められています。
- 欧州連合(EU):
- 「REPowerEU計画」の下で、再生可能エネルギーや水素関連プロジェクトを「公共の利益となる優先プロジェクト」に指定し、許認可手続きの迅速化を目指しています。
- 特定地域やプロジェクトタイプに対して、手続き期間の短縮目標(例: 再エネ設備で1年以内、特定の重要インフラで2年以内)を設定しています。
- ワンストップ窓口(One-Stop-Shop)の設置や、手続きのデジタル化を進めることで、事業者側の負担軽減を図っています。
- 戦略的環境アセスメント(SEA)を活用し、初期段階で環境影響を包括的に評価し、個別プロジェクトレベルでの手続きを簡素化するアプローチも検討されています。
- 米国:
- 「Inflation Reduction Act (IRA)」等による巨額の財政支援と並行して、エネルギーインフラ整備を加速するための許認可改革(Permitting Reform)に関する議論が進んでいます。
- 環境レビュープロセスの合理化、連邦政府機関間の調整強化、審査期間の短縮などが主要な論点となっています。
- 特定重要インフラプロジェクトに対する迅速化措置の適用が検討されています。
- オーストラリア:
- 大規模なグリーン水素プロジェクト開発が進んでおり、州政府レベルで迅速な許認可プロセスを目指す取り組みが見られます。
- 特に広大な土地を活用した再エネ+水素製造拠点プロジェクトでは、初期段階での環境・社会影響評価と、複数の州・連邦政府機関との連携が重要視されています。
これらの国際事例から、以下の政策的アプローチが示唆されます。
- 手続きの合理化と迅速化:
- ワンストップ窓口の設置や、関係省庁・部署間の連携強化による手続きの一元化・効率化。
- プロジェクトの重要度に応じた優先審査枠の設定。
- 手続き期間の目標設定と進捗管理の徹底。
- 規制・基準の整備:
- 新規水素関連技術に関する安全基準や環境評価手法の明確化・標準化。
- 法規制のグレーゾーン解消に向けたガイドライン策定や解釈の提示。
- 関係者エンゲージメントの強化:
- プロジェクト計画の初期段階からの地域住民や関係者への丁寧な説明と意見交換の場の設定。
- 透明性の高い情報公開と合意形成に向けた円滑なコミュニケーション体制構築。
- デジタル技術の活用:
- 許認可申請プロセスのオンライン化・デジタル化。
- 環境モニタリングやデータ共有におけるデジタルプラットフォームの活用。
- 地理情報システム(GIS)等を用いたサイト選定や環境影響評価の効率化。
政策的最適化に向けた検討事項
日本において水素インフラ整備を加速するためには、上記国際事例も参考にしつつ、以下のような政策的最適化を検討することが重要です。
- 水素インフラ特有の許認可ガイドラインの策定: 例えば、既存のガスパイプラインへの水素混入や専送、大規模地下貯蔵など、水素特有のインフラ形態に対する環境・安全評価の標準的な考え方や手続きを示すガイドラインが有効と考えられます。
- 関係省庁間の強力な連携: 経済産業省、環境省、国土交通省、地方自治体など、関係省庁・部署間の連携を強化し、横断的な審査・許認可プロセスを構築することが不可欠です。合同窓口の設置や、定期的な情報交換・調整会議の開催が有効です。
- 地域特性に応じたアプローチ: 大規模な製造・輸送拠点となる臨海部や、再生可能エネルギー資源が豊富な地域など、それぞれの地域特性に応じた規制緩和や手続きの迅速化措置を検討する必要があります。
- 技術実証と規制整備の連携: 最新技術の実証プロジェクトと並行して、必要な規制や基準の検討を進め、実証結果を迅速に法規制に反映させるメカニズムを構築することが望まれます。
- 国民理解の促進: 水素インフラの安全性や環境性に関する正確な情報を広く国民に提供し、社会受容性の向上に努めることも、円滑な許認可プロセスにとって重要です。
まとめ
水素インフラの迅速かつ着実な整備は、水素社会実現のための喫緊の課題です。現状の環境アセスメント・許認可手続きは、その複雑性や新規技術への対応の遅れなどから、プロジェクト推進のボトルネックとなり得る状況にあります。
主要国の事例からは、手続きの合理化・迅速化、規制・基準の整備、関係者エンゲージメント、デジタル技術活用といった政策的アプローチが進められていることが示唆されます。
これらの知見を踏まえ、日本においても、水素インフラ特有のガイドライン策定、関係省庁間の連携強化、地域特性に応じたアプローチ、技術実証と規制整備の連携、そして国民理解の促進といった政策を戦略的に展開することで、環境・許認可手続きの円滑化・最適化を図り、水素プロジェクトの推進を加速させていくことが期待されます。