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水素還元製鉄技術の社会実装に向けた政策課題:コスト、インフラ、国際連携

Tags: 製鉄産業, 水素還元製鉄, 脱炭素化, 産業政策, インフラ整備, 国際連携, コスト競争力

製鉄産業は、産業部門の中でも特に大量のCO2を排出する分野であり、その脱炭素化は温室効果ガス削減目標達成に向けた重要な課題です。世界の鉄鋼生産量の大部分を占める高炉法は、石炭を還元剤として使用するため、CO2排出量が非常に多いプロセスとなっています。この脱炭素化を実現する主要な技術の一つとして、水素を還元剤として利用する「水素還元製鉄」が世界的に注目されており、その社会実装に向けた政策の検討が喫緊の課題となっています。

水素還元製鉄技術の概要と開発動向

水素還元製鉄は、石炭の代わりに水素を用いて鉄鉱石から酸素を取り除く(還元する)技術です。既存技術としては、天然ガスを還元剤として使用する直接還元鉄(DRI: Direct Reduced Iron)プロセスがありますが、このプロセスにおいて天然ガスの一部または全てを水素に置き換えることで、CO2排出量を大幅に削減することが可能となります。将来的には、天然ガスを一切使用せず、100%水素で還元を行うH2-DRIプロセスと、そこで製造された還元鉄を電気炉で溶解・精錬する組み合わせが、ほぼゼロエミッションの製鉄プロセスとして期待されています。

世界各国や主要な鉄鋼メーカーは、水素還元製鉄の実証試験や大規模プラント建設計画を積極的に進めています。欧州を中心に、既存のDRIプラントを改修して水素混焼率を高める試みや、最初から100%水素利用を視野に入れた新規プラントの計画が進められています。日本国内でも、既存の高炉に水素を吹き込む技術や、海外でのH2-DRI実証への参画など、多様なアプローチで技術開発が進められています。

技術開発自体は着実に進展していますが、大規模な商用化に向けた技術的最適化、安定操業、設備ライフサイクルにおける課題などは依然として存在します。

社会実装に向けた主要な政策課題

水素還元製鉄技術を産業規模で社会実装し、既存の高炉法から転換を進めるためには、技術開発支援に加え、以下のような複数の政策課題への対応が必要となります。

1. コスト競争力の確保

水素還元製鉄で製造される鉄鋼製品のコストは、現時点では既存の高炉法による製品と比較して相当程度高いと考えられています。このコスト差の要因は、主に以下の点が挙げられます。

これらのコストギャップを埋め、水素還元製鉄の経済的成立性を確保するためには、政策による支援が不可欠です。具体的には、グリーン水素製造やインフラ整備への補助金・税制優遇、カーボンプライシング(炭素税や排出量取引制度)の導入・強化による高炉法のコスト増、グリーン鋼材への需要創出支援(公共調達、認証制度)などが政策オプションとして考えられます。

2. 大規模な水素供給インフラの整備

水素還元製鉄プロセスは、既存の産業用途と比較して格段に大量の水素を必要とします。製鉄所のような大規模拠点で安定的に、かつ低コストで水素を供給するためには、製造拠点から消費地までの広範な水素供給インフラ(パイプライン、大規模貯蔵設備、輸入基地など)の整備が不可欠です。

特に、低コストなグリーン水素を大量に確保するためには、国内での再生可能エネルギー由来の水素製造能力の拡大に加え、海外からの大規模な輸入を前提としたインフラ整備も考慮する必要があります。港湾部にある製鉄所が多いため、海外からの液化水素やアンモニアなどの水素キャリア受け入れ基地の整備、そこから製鉄所への供給ネットワーク構築などが重要な政策課題となります。また、水素製造、輸送、貯蔵に係る安全規制や標準化の整備も並行して進める必要があります。

3. 国際連携とサプライチェーンの構築

製鉄産業はグローバルなサプライチェーンで成り立っています。鉄鉱石は多くの国が輸入に頼っており、製造された鉄鋼製品も世界中で取引されています。水素還元製鉄を推進する上では、以下の国際的な側面への対応が不可欠です。

4. 電力供給体制の強化と連携

水素還元製鉄プロセスにおける電気炉の稼働や、グリーン水素製造のための水電解には、大量の電力、特に再生可能エネルギー由来の電力が必要となります。製鉄所のような電力多消費産業拠点の脱炭素化は、電力系統全体への負荷や再生可能エネルギーの供給制約に直結する可能性があります。

大規模な再エネ電源の開発、電力系統の増強・安定化策に加え、電力網と水素製造・消費設備との間での需給調整(例: PPA: Power Purchase Agreementの活用、デマンドレスポンス、VPP: Virtual Power Plantとの連携)に関する政策設計も重要です。製鉄所の立地特性(臨海部)を活かした洋上風力発電など、再エネ電源と水素製造・製鉄所を一体的に捉えた政策検討が求められます。

結論と今後の展望

製鉄産業の脱炭素化は、日本の2050年カーボンニュートラル目標達成に向けた最重要課題の一つであり、水素還元製鉄はその実現に向けた本命技術の一つと考えられます。技術開発は進展していますが、その社会実装には、コスト競争力の確保、大規模な水素供給インフラ整備、国際連携によるサプライチェーン構築と市場形成、そして電力供給体制の強化という複数の政策課題が複雑に絡み合っています。

これらの課題は単独で解決できるものではなく、技術開発支援、投資インセンティブ、インフラ整備計画、国際戦略、関連規制整備など、多岐にわたる政策を包括的かつ整合性を持って展開する必要があります。特に、巨額の初期投資と長期的な回収期間を要する製鉄所の転換には、予見可能性の高い、安定した政策支援の枠組みが不可欠です。

政策担当者は、これらの複雑な要素を総合的に考慮し、国内外の動向や技術の進化を見極めながら、水素還元製鉄の円滑な社会実装を後押しするための効果的な政策パッケージを設計・実行していくことが求められています。