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水素サプライチェーンのレジリエンス強化:政策担当者が考慮すべきリスクと対策

Tags: 水素サプライチェーン, レジリエンス, リスク管理, エネルギー安全保障, 政策

はじめに

カーボンニュートラル実現に向け、水素は次世代エネルギーキャリアとして世界的に注目されています。その導入拡大には、製造、輸送、貯蔵、利用に至る広範なサプライチェーンの構築が不可欠です。しかし、この新たなサプライチェーンは多様なリスクに晒される可能性があり、そのレジリエンス(強靭性)をいかに確保するかが、政策立案における重要な課題となっています。

本稿では、水素サプライチェーンにおけるレジリエンスの概念とその重要性を整理し、政策担当者が考慮すべき主要なリスク要因、およびそれらに対する政策的対策について分析します。

水素サプライチェーンにおけるレジリエンスの重要性

レジリエンスとは、予期せぬ事態が発生した場合でも、システムがその機能を維持・回復・適応する能力を指します。水素サプライチェーンにおけるレジリエンス強化は、単なるリスク回避に留まらず、以下の点で政策的に極めて重要です。

  1. エネルギー安全保障の確保: 化石燃料への依存度を低減し、エネルギー供給源の多様化を図る上で、安定した水素供給は不可欠です。サプライチェーンの脆弱性は、エネルギー安全保障上のリスクに直結します。
  2. 経済活動の安定化: 産業やモビリティ、電力部門など、水素利用が拡大するにつれて、サプライチェーンの途絶は広範な経済活動に影響を及ぼします。安定供給は経済基盤を支える上で重要です。
  3. 投資促進と予見可能性の向上: 投資家や事業者は、サプライチェーンの安定性やリスクへの対応能力を重視します。レジリエンスの高いサプライチェーンは、長期的な投資を呼び込み、事業の予見可能性を高めます。
  4. 目標達成の確実性向上: 国や地域が掲げる水素導入目標や脱炭素目標の達成には、安定的かつ継続的な水素の供給・利用が前提となります。

水素サプライチェーンは、既存のエネルギーインフラとは異なる特性を持つ技術やシステムを含んでおり、新たな種類の脆弱性が生じうる点に留意が必要です。

水素サプライチェーンにおける主要なリスク要因

水素サプライチェーンは、そのライフサイクル全体にわたって様々なリスクに直面する可能性があります。政策担当者は、これらのリスクを包括的に評価し、対策を講じる必要があります。主要なリスク要因としては、以下が挙げられます。

  1. 物理的リスク:
    • 自然災害: 地震、津波、洪水、台風などによる製造設備、輸送パイプライン、貯蔵施設、水素ステーションなどの損壊。
    • 事故: 水素の漏洩、火災、爆発などの産業事故。
    • 物理的セキュリティ: テロや破壊行為による重要インフラへの攻撃。
  2. サイバーセキュリティリスク:
    • 製造プロセスの制御システム(SCADA等)、輸送・貯蔵管理システム、需給調整システムなど、サプライチェーンを構成するデジタルインフラへのサイバー攻撃。
    • データ窃盗や改ざんによる運用妨害、プライバシー侵害。
  3. 供給途絶リスク:
    • 地政学的リスク: 海外からの水素調達における政治情勢の変動、貿易制限、航路の不安定化。
    • サプライヤー依存: 特定の国や企業への過度な依存による供給制約。
    • インフラボトルネック: 輸送容量不足、港湾能力不足、インフラ整備の遅れ。
  4. 技術的リスク:
    • 新規技術(例: 大規模電解槽、長距離パイプライン輸送、液体水素運搬船)の予期せぬトラブルや性能問題。
    • 関連技術(例: 再エネ発電、CCUS)の稼働停止や供給制約による水素製造への影響。
    • 標準化の遅れによる国際取引や機器互換性の問題。
  5. 経済的・市場リスク:
    • 価格変動: 天然ガス価格や電力価格、輸送コストの変動による水素価格の不安定化。
    • 需要変動: 産業活動の変化や季節変動による需要の不安定化。
    • 投資リスク: プロジェクトの遅延や失敗、資金調達の困難化。

これらのリスクは複合的に発生し、サプライチェーン全体に影響を及ぼす可能性があります。

レジリエンス強化に向けた政策的対策

水素サプライチェーンのレジリエンスを強化するためには、多岐にわたる政策手段を組み合わせた総合的なアプローチが必要です。政策担当者が推進すべき主要な対策は以下の通りです。

  1. リスク評価・管理フレームワークの構築:
    • 水素サプライチェーン全体のリスクを継続的に評価・監視する体制を構築します。
    • リスクシナリオを想定した影響分析と、それに基づいた対策の優先順位付けを行います。
    • 官民連携によるリスク情報の共有と、共同での対策検討を促進します。
  2. 物理的・サイバーセキュリティ対策の強化:
    • 重要インフラとなりうる水素関連施設に対し、物理的セキュリティに関する基準やガイドラインを策定・適用します。
    • サプライチェーンを構成するデジタルシステムに対するサイバーセキュリティ戦略を策定し、技術基準や認証制度を導入します。
    • 官民合同でのセキュリティ訓練や演習を実施し、インシデント発生時の対応能力を高めます。
  3. 供給源・経路の多角化と戦略的備蓄:
    • 海外からの水素調達において、特定の国や地域に偏らないよう、複数の供給元・輸送経路の確保を外交・経済政策と連携して推進します。
    • 国内製造(特に再エネ由来水素)の拡大と、海外からの輸入との最適な組み合わせを検討します。
    • 国内での水素貯蔵容量を増やし、一時的な供給途絶に対応できる戦略的備蓄の仕組みを検討します。
  4. インフラ整備の加速とボトルネック解消:
    • 国内の水素パイプラインネットワーク、港湾施設、貯蔵施設など、基幹インフラの計画的な整備を支援します。
    • 許認可プロセスの効率化や、地域住民の理解促進を通じた社会受容性の向上を図り、インフラ整備のボトルネック解消に取り組みます。
    • 輸送・貯蔵技術の多様化を促進し、様々な条件下での柔軟な対応を可能にします。
  5. 技術開発支援と標準化の推進:
    • より安全で効率的な製造、輸送、貯蔵、利用技術の研究開発を支援します。
    • サプライチェーン全体の相互運用性を確保するため、国内・国際的な標準化活動に積極的に貢献し、日本の技術や基準の国際展開を図ります。
  6. 法規制・制度整備:
    • 水素関連施設の安全規制、環境規制、サイバーセキュリティ規制などを整備・見直し、リスク低減を図ります。
    • 市場メカニズムを活用したリスク分散(例: 保険制度、契約上のリスク分担)や、緊急時の供給調整メカニズムの導入を検討します。
  7. 人材育成:
    • 水素関連技術に加え、安全性管理、リスク評価、サイバーセキュリティに関する専門人材の育成を強化します。

これらの政策は、単独で機能するのではなく、相互に関連し合いながら効果を発揮します。例えば、技術開発はリスクの低減に繋がると同時に、新たなリスクを生み出す可能性もあり、法規制や標準化と連携して進める必要があります。

結論

水素経済の確立は、エネルギーシステムに変革をもたらす野心的な取り組みです。その過程で構築される新たなサプライチェーンは、従来のエネルギーシステムとは異なる、あるいは増幅されたリスクに直面する可能性があります。

水素サプライチェーンのレジリエンス強化は、単にリスクを回避するだけでなく、エネルギー安全保障、経済安定性、そして国家目標の確実な達成に向けた、政策立案の基盤となる要素です。物理的リスク、サイバーセキュリティリスク、供給途絶リスクなど、多様なリスク要因を包括的に評価し、供給源の多角化、インフラ整備、技術開発、法制度整備といった多角的な政策手段を戦略的に組み合わせることが求められます。

政策担当者は、これらの課題に対して、国内外の動向や技術進展を常に注視し、ステークホルダー間の緊密な連携を図りながら、継続的かつ適応的な政策アプローチを推進していくことが重要と考えられます。レジリエントな水素サプライチェーンの構築は、持続可能なエネルギー未来を実現するための不可欠なステップとなるでしょう。