水素サプライチェーン構築を支える基盤技術開発の現状と政策的課題
はじめに
カーボンニュートラル社会の実現に向け、水素は次世代エネルギーの有力な選択肢として世界中で注目されています。特に、大規模な水素利用を可能とするためには、製造から貯蔵、輸送、利用に至るまで、効率的かつ低コストな水素サプライチェーンの構築が不可欠です。このサプライチェーンを支える基盤技術の開発は、水素社会実現のスピードと規模を決定づける重要な要素となります。
本稿では、水素サプライチェーンを構成する主要な技術領域における開発の現状と、技術実用化・普及に向けた政策的な課題について分析します。政策担当者の皆様が、技術動向を踏まえた効果的な政策立案を検討される上での一助となれば幸いです。
水素サプライチェーンを構成する基盤技術領域
水素サプライチェーンは、大きく以下の4つの主要な領域に分けられます。それぞれの領域で多様な技術開発が進められています。
1. 水素製造技術
水素製造はサプライチェーンの起点であり、その製造方法が水素のコストと環境負荷を大きく左右します。
- 電解法: 再生可能エネルギー由来の電力を用いた水電解(グリーン水素)は、脱炭素化の切り札として期待されています。アルカリ水電解、固体高分子形(PEM)水電解、固体酸化物形(SOEC)水電解など、様々な方式の開発が進んでいます。PEM電解は応答性に優れ変動性の再エネとの連携に適し、SOEC電解は高温での高効率運転が可能といった特徴があり、それぞれの用途に応じた技術開発が進展しています。特に、システム全体の効率向上、耐久性向上、そして製造コストの低減が喫緊の課題です。
- 化石燃料由来の製造技術: 天然ガス等を原料とする水素製造技術(グレー水素、CCS/CCUSと組み合わせたブルー水素)は、現状では最もコスト効率が良い製造方法の一つです。CCS/CCUS技術との組み合わせにより、製造時のCO2排出を抑制しつつ、当面の需要に応じた供給量確保に貢献することが期待されています。メタン分解による水素製造技術なども研究が進められています。
2. 水素貯蔵・輸送技術
製造された水素を需要地へ、効率的かつ安全に運ぶための技術は、サプライチェーンの地理的な拡張に不可欠です。
- 圧縮水素・液化水素: 高圧ガスとしての圧縮貯蔵・輸送は比較的確立された技術ですが、貯蔵密度に課題があります。液体水素はより高密度な貯蔵・輸送が可能ですが、極低温(-253℃)での維持に大きなエネルギーを要し、インフラコストも高くなります。大型の輸送船やタンク開発が進められています。
- 水素キャリア: 水素そのものではなく、水素を化学的に結合させた物質(アンモニア、メチルシクロヘキサン(MCH)、有機ハイドライドなど)として貯蔵・輸送する方法です。これらのキャリアは既存のインフラの一部を活用できる可能性があり、長距離・大量輸送に適しています。アンモニアは肥料原料等としての既存需要があり、サプライチェーン構築の観点から注目度が高い技術です。キャリアからの水素分離(脱水素)技術の開発も重要となります。
- 固体貯蔵: 合金などに水素を吸蔵させる技術も研究されています。貯蔵密度が高い可能性がありますが、コストや充放電速度、耐久性などの課題があります。
3. 水素利用技術
様々な分野で水素を利用するための技術開発も進んでいます。
- 燃料電池: 自動車(FCV)、定置用電源、船舶、鉄道など、多様なモビリティや発電用途への応用が期待されています。性能向上、耐久性、コスト低減が主要な開発目標です。特に、大型・高出力化に向けた技術開発が進展しています。
- 水素燃焼: 既存の火力発電設備での混焼・専焼や、産業炉、ガスタービンでの利用が検討されています。NOx排出抑制技術や、設備改修コストの低減が課題です。
- 産業用利用: 既存の石油精製や化学工業に加え、鉄鋼製造(直接還元法など)、セメント製造など、多岐にわたる産業プロセスでの水素利用技術の開発が進んでいます。
4. インフラ・システム技術
上記を繋ぎ、サプライチェーン全体を最適化するための技術も重要です。
- パイプライン、水素ステーション、充填技術
- サプライチェーン全体における監視・制御システム
- 安全性確保のためのセンシング・検知技術、材料技術
- 経済性評価・最適化技術
技術実用化・普及に向けた政策的課題
これらの基盤技術を社会実装し、水素経済を確立するためには、技術開発の側面から以下の政策的課題に対応する必要があります。
1. 研究開発・実証への継続的な支援
技術開発は長期にわたる多大な投資を必要とします。特に、初期段階の研究開発や大規模実証事業は、市場メカニズムだけでは十分な投資が集まりにくい傾向にあります。国家による戦略的な研究開発支援や国際連携による共同研究の推進が不可欠です。どの技術に重点を置くか、技術ロードマップをどのように描くか、といった議論は政策立案の重要な要素となります。
2. コスト低減と経済性の確保
現状の水素関連技術は、多くの分野で既存のエネルギー技術と比較してコスト競争力に課題を抱えています。特にグリーン水素の製造コストや、長距離輸送・貯蔵コストの低減は、大規模導入に向けた最大の障壁の一つです。技術開発に加え、製造・導入に対する補助金、税制優遇、需要創出策などを組み合わせることで、技術の量産化と規模の経済によるコスト低減を加速する政策的なインセンティブ設計が求められます。
3. 規制・標準化への対応
新しい技術が普及するためには、安全性や互換性を保証する適切な規制や標準が必要です。水素関連技術は発展途上の分野も多く、既存の法規制との整合性や、国際的な標準化の動向を踏まえた迅速かつ柔軟な制度設計が求められます。特に国際サプライチェーン構築においては、国家間の規制や標準の違いが障壁となりうるため、国際協調を通じた標準化の推進が重要な政策課題となります。
4. 関連産業・人材育成の推進
技術開発の成果を社会実装するためには、製造、建設、保守運用などを担う関連産業の育成と、専門知識を持つ人材の育成が不可欠です。サプライチェーン全体の構築を見据えた産業支援策や教育・研修プログラムの整備は、技術普及を下支えする重要な政策となります。
5. 国際連携と知財戦略
水素サプライチェーンはグローバルに展開されることが想定されています。技術開発においても、国際的な研究協力や実証プロジェクトへの参画は、技術的な知見の共有や開発リスクの分散に繋がります。同時に、競争力の源泉となる技術の知的財産を適切に保護し、国際的なビジネス展開に繋げる戦略も重要となります。
結論
水素サプライチェーン構築に必要な基盤技術は多岐にわたり、それぞれの領域で開発が進展しています。これらの技術は、今後の水素経済の規模や実現時期を左右する鍵となります。技術開発の成果を最大限に社会実装するためには、研究開発・実証への継続的な支援、コスト低減へのインセンティブ、規制・標準化への迅速な対応、関連産業・人材育成、そして国際連携といった政策的な対応が不可欠です。
政策担当者の皆様におかれましては、最新の技術開発動向を的確に把握しつつ、中長期的な視点からこれらの政策課題に対し、国内外の動向も踏まえた包括的かつ戦略的なアプローチを検討されることが期待されます。技術開発の進展と効果的な政策の連携が、持続可能な水素社会の実現に向けた道のりを加速するものと考えられます。