日本における水素海外調達戦略の構築:政策課題と国際協力の展望
はじめに:水素経済実現に向けた海外調達の重要性
エネルギー安全保障の強化と脱炭素社会の実現に向け、水素エネルギーへの期待が高まっています。日本は、資源に乏しいという地理的な制約から、安定した水素サプライチェーンの構築において海外からの調達が不可欠となります。国内での水素製造も進められていますが、将来の需要拡大に対応するためには、経済性、安定性、供給量確保の観点から、海外で製造された水素を効率的に輸送・利用する体制の確立が極めて重要です。
本記事では、日本における水素海外調達戦略の現状と、その実現に向けた政策的な課題、そして国際協力の展望について、政策担当者の視点から分析します。
日本の水素海外調達戦略の必要性
国内製造能力の限界とコスト課題
国内での水素製造は、再生可能エネルギー由来の電力を用いる「グリーン水素」や、化石燃料から製造しつつCO2を回収・貯留する「ブルー水素」を中心に検討されています。しかし、国内の再生可能エネルギー賦存量には限りがあり、大量かつ安価なグリーン水素を国内製造のみで賄うことは現実的ではありません。また、現状では国内製造コストは海外と比較して高い傾向にあります。
経済性とエネルギー安全保障の両立
安価で大量の水素を安定的に確保するためには、日照や風況に恵まれた地域、あるいは安価な化石燃料資源とCO2回収・貯留技術を持つ地域からの調達が有効です。海外からの調達は、複数の供給元を確保することで特定の地域への依存度を下げ、エネルギー安全保障の向上にも寄与する可能性があります。
主要な調達候補地とサプライチェーン形態
日本は、豪州、中東、東南アジアなど、ポテンシャルの高い国・地域との間で、水素またはそのキャリア(輸送しやすい形態)の製造・輸送に関する技術開発や実証事業を進めています。
調達候補地の多様性
- 豪州: 安価な褐炭を利用したブルー水素製造、または豊富な再生可能エネルギーポテンシャルを活かしたグリーン水素製造の候補地として注目されています。
- 中東: 石油・ガス生産に伴う副生水素の活用や、豊富な太陽光資源を活用したグリーン水素製造のポテンシャルが高い地域です。
- 東南アジア: 再生可能エネルギーポテンシャルや地理的な近接性から、将来的な供給元として検討されています。
サプライチェーンの形態
水素を大量・長距離輸送するためには、そのままの形態ではなく、より体積あたりの水素含有量が多いキャリアに変換する必要があります。主要なキャリアとしては以下が挙げられます。
- 液化水素 (LH2): 水素を極低温(-253℃)で液化するもの。輸送効率は高いが、液化・貯蔵に高度な技術とエネルギーが必要となります。
- アンモニア (NH3): 水素と窒素から合成され、比較的扱いやすい形態。既存の輸送・貯蔵インフラの活用が可能ですが、利用時に水素へ戻す(分解する)プロセスが必要です。
- メチルシクロヘキサン (MCH): 有機ハイドライドと呼ばれる形態で、常温常圧で液体として扱えます。輸送・貯蔵は容易ですが、合成・分解プロセスが必要です。
- その他: 液体有機ハイドライド(LOHC)、メタン化(SNG)など、様々なキャリアが研究開発されています。
どのキャリアを採用するかは、製造コスト、輸送コスト、利用形態(水素に戻すかキャリアのまま利用するか)、インフラ整備の状況などを総合的に考慮して判断する必要があります。政策的には、特定のキャリアに偏らず、複数の選択肢を支援することが重要と考えられます。
水素海外調達戦略実現に向けた政策的課題
水素の海外調達を実現し、安定的なサプライチェーンを構築するためには、多岐にわたる政策的な課題が存在します。
1. 技術開発・実証支援
キャリアの変換・輸送・貯蔵技術、受け入れ基地におけるインフラ技術、利用地での脱水素技術など、サプライチェーンの各段階における技術開発と大規模実証が不可欠です。初期段階では経済性が確立されていないため、政府による研究開発支援、実証事業への助成、税制上の優遇措置などが有効な手段となります。
2. 国際協力と多国間連携
海外での製造拠点の確保、輸送ルートの確立、関連する法規制や標準化への対応には、供給国や経由国との緊密な連携が必要です。二国間協定の締結、国際会議における議論への積極的な参加、多国間枠組み(例: クリーンエネルギー分野の国際イニシアティブ)を通じた協力推進が求められます。特に、各国のエネルギー政策や経済状況を踏まえた、相互に利益となる協力関係の構築が重要です。
3. 経済性確保とリスク低減
海外からの調達コストは、製造地の状況、輸送距離、キャリアの種類、為替変動などに左右されます。長期的な安定供給と経済性を両立させるため、初期投資リスクを低減する支援策(例: 助成金、政府系金融機関による融資)、将来の需要を喚起する政策(例: 導入目標設定、補助金、規制措置)、カーボンニュートラルポートの整備といった受け入れ体制の強化が必要です。また、供給途絶リスクや価格変動リスクへの対応策も検討する必要があります。
4. 関連インフラ整備
海外から輸送された水素やキャリアを受け入れ、国内の消費地まで供給するためのインフラ(例: 受け入れ基地、パイプライン、貯蔵設備、港湾設備)の整備が課題となります。インフラ整備には巨額の投資が必要であり、官民連携による計画的な整備、規制緩和、適切なインセンティブ設計が求められます。
5. 低炭素性評価・認証の国際連携
海外で製造された水素の低炭素性をどのように評価し、認証するかは、国際的な取引において重要な論点です。製造方法(再生可能エネルギー由来か、化石燃料由来か、CO2回収率はどの程度か)、輸送プロセスにおける排出量などを含めたライフサイクル評価に基づいた、国際的に通用する評価・認証制度の確立に向けた議論に積極的に貢献する必要があります。
他国の海外調達戦略事例
欧州連合(EU)は、域内での水素生産目標に加え、域外からの輸入戦略も積極的に推進しています。特に、北アフリカ、中東、南米、豪州などとの間で、グリーン水素やアンモニアの供給に関する協力覚書やパイロットプロジェクトが進められています。EUの事例は、広範な地域との連携、多様なキャリア形態への対応、そして国際的な標準化への貢献という点で、日本の戦略策定において参考となる点が多々あります。
結論:政策担当者が考慮すべき今後の展望
水素の海外調達は、日本の水素経済実現の鍵となる要素です。安定かつ経済的なサプライチェーンを構築するためには、技術開発支援、国際協力の強化、経済性確保に向けたリスク低減策、そして関連インフラの計画的な整備を一体的に進める必要があります。
今後、政策担当者は以下の点を特に考慮することが重要と考えられます。
- 複数の供給候補地、複数のキャリア形態のポテンシャルを評価し、ポートフォリオとしてリスク分散を図ること。
- 供給国、経由国との継続的な対話を通じて、 Win-Win の協力関係を構築すること。
- 国際的なルール形成や標準化の議論に積極的に参画し、日本の立場を反映させること。
- 国内のインフラ整備と海外からの調達計画を連動させ、ボトルネックを解消すること。
- 変動する国際情勢や技術進展に応じて、戦略を柔軟に見直す体制を構築すること。
これらの取り組みを通じて、日本が国際水素市場における主要なプレイヤーとしての地位を確立し、エネルギー安全保障と脱炭素化目標の達成に貢献することが期待されます。