政策担当者が検討すべき公共部門の水素率先導入:政策意義、課題、国際事例
はじめに
水素エネルギーは、脱炭素社会の実現に向けた重要なキーテクノロジーとして世界的に注目されています。その導入拡大には、供給側・需要側の双方における技術開発、インフラ整備、コスト低減などが不可欠です。特に需要創出においては、初期段階における市場形成を促すための政策的な後押しが求められます。本稿では、公共部門が率先して水素技術を導入することの政策的意義に着目し、具体的な導入領域、想定される課題、そして効果的な政策アプローチについて、国際事例も踏まえながら分析します。政策担当者の皆様が、公共部門における水素導入推進策を検討される上での一助となれば幸いです。
公共部門による率先導入の政策的意義
公共部門、すなわち国、地方自治体、公的機関などが水素技術を率先して導入することは、水素経済の初期段階において複数の重要な政策的意義を有すると考えられます。
まず、最も直接的な効果として、初期需要の創出が挙げられます。公共部門は大規模かつ継続的な需要源となる可能性を秘めており、燃料電池自動車(FCV)や燃料電池バスなどの車両、公共施設における燃料電池システム、クリーンセンターなどでの水素製造・利用といった多様な用途での導入が可能です。これにより、水素関連製品やサービスの市場規模拡大に貢献し、産業界における生産・供給体制の構築やコスト低減を促進する効果が期待できます。
次に、技術の実証と社会受容性の向上です。公共部門が実際の運用環境で水素技術を使用することは、その安全性、信頼性、利便性を実証する機会となります。成功事例が積み重ねられることで、技術的な課題が顕在化し改善が進むだけでなく、一般市民や産業界に対して水素技術が実用可能であり安全であるというメッセージを発信できます。これは、民間部門による導入や、地域住民の理解・協力(社会受容性)を得る上で極めて重要です。
また、公共部門が脱炭素化の目標を掲げ、それを実現するための具体的な行動として水素技術を選択することは、政策メッセージの発信力強化につながります。国や自治体が率先して導入することは、目標達成への本気度を示すとともに、他の公共団体や民間企業、そして国民に対して脱炭素化への取り組みを促す強力なシグナルとなります。
さらに、長期的な視点では、公共サービスの脱炭素化を通じて温室効果ガス排出量の削減に貢献できるほか、エネルギー供給の分散化や災害時対応能力の向上など、エネルギーシステム全体のレジリエンス強化にも寄与する可能性があります。
公共部門における水素技術導入の具体的な領域と課題
公共部門における水素技術導入は、多岐にわたる領域で検討が進められています。具体的な導入領域と、それぞれに付随する課題を以下に整理します。
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公用車・公共交通機関:
- 領域: 公用車(庁用車、特殊車両)、公営バス、ごみ収集車、清掃車など。
- メリット: 移動体の脱炭素化、早期の大量導入による需要創出効果。
- 課題: FCV・燃料電池バスの初期導入コストが高いこと、水素ステーションの整備状況、航続距離や燃料充填時間、メンテナンス体制の構築、車両の多様性(車種選択肢)。例えば、経済産業省の公表資料によれば、燃料電池バスの車両価格は同等サイズのディーゼルバスと比較して高い傾向にあります(出典例: 経済産業省 資料)。
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公共施設・建物:
- 領域: 庁舎、学校、病院、体育館、処理施設(下水処理場、ごみ処理場)、消防署などにおける燃料電池システム(熱電併給)、水素ボイラー、水素冷暖房システム。
- メリット: 建物の脱炭素化、定置式システムによる安定需要、非常用電源としての活用。
- 課題: 設備導入の初期コスト、設置スペースの確保、建物用途に応じたエネルギー需要プロファイルとの適合性、既存エネルギー設備との連携、安全規制、メンテナンス体制。
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再生可能エネルギー由来水素の製造・利用:
- 領域: 公共施設の屋上太陽光や敷地内風力などで発電した電力を用いたオンサイト水素製造、下水処理場等から発生するバイオガス由来の水素製造・利用。
- メリット: 地産地消型のクリーン水素供給、エネルギーの地域内循環。
- 課題: 再エネ出力の変動性、製造設備の規模とコスト、水素貯蔵・輸送の必要性、既存インフラとの連携、エネルギー収支効率。
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災害時対応設備:
- 領域: 避難所、防災拠点等における非常用燃料電池システム、可搬型水素供給設備。
- メリット: 災害時の電力・熱供給源確保、レジリエンス強化。
- 課題: 設備・燃料の備蓄・維持管理コスト、災害発生時の供給体制、長期貯蔵技術。
これらの領域全体に共通する課題として、初期コストの高さ、水素インフラ(製造、輸送、貯蔵、供給)の未整備、技術の標準化や安全基準の整備状況、公共調達における評価基準の策定、そして公共部門の職員の知識・スキル向上などが挙げられます。特に地方自治体においては、予算や専門人材の制約が大きな障壁となり得ます。
率先導入を加速するための政策アプローチ
公共部門による水素技術の率先導入を効果的に推進するためには、これらの課題に対応した多角的な政策アプローチが必要です。
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具体的な目標設定とロードマップ: 国や地方自治体が、公共部門における水素導入に関して具体的な数値目標(例:〇年までに公用車の〇%をFCV化、〇年までに主要公共施設の〇%に燃料電池システムを導入)を設定し、その達成に向けたロードマップを策定することは、取り組みを加速するための強力な推進力となります。
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財政的支援措置: 導入初期の高いコストをカバーするための補助金、低利融資、リース・レンタル支援、税制優遇などの財政的インセンティブは不可欠です。特に地方自治体に対する手厚い支援や、特定の導入領域(例:燃料電池バス、非常用電源)に特化した支援策などが効果的と考えられます。
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公共調達基準への反映: 温室効果ガス排出量削減やLCA(ライフサイクルアセスメント)評価を考慮した調達基準を策定し、価格だけでなく環境性能を評価に含めることで、水素関連製品・サービスの競争力向上を促すことができます。グリーン購入法の対象に水素関連製品を追加・拡充することも有効な手段です。
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規制緩和・基準策定: 水素施設の設置場所、運搬、運用に関する安全規制や技術基準の見直し・明確化は、導入の予見可能性を高め、円滑な導入を可能にします。国際的な安全基準との整合性を図ることも重要です。
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情報提供と普及啓発: 成功事例の共有、技術情報、補助金情報、導入プロセスに関するガイドラインなどを公共部門内で横断的に提供することで、導入を検討する自治体や機関の負担を軽減し、取り組みを促進できます。実証事業への参加支援や、自治体職員向けの研修プログラムなども有効です。
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国際事例の活用: 海外では、一部の都市や国が公共交通機関(バス、鉄道)や公用車、公共施設への水素導入を積極的に進めています。例えば、欧州やカリフォルニア州などにおける燃料電池バスの導入事例や、自治体による水素製造・利用プロジェクトなどは、日本の政策担当者にとって参考となる点が多々あると考えられます。どのような支援策が効果を上げているか、どのような課題に直面し、それをどのように克服しようとしているかといった分析が有用です。
結論
公共部門による水素技術の率先導入は、水素経済の初期市場形成、技術実証、社会受容性の向上、政策メッセージの発信といった多岐にわたる政策的意義を有しており、脱炭素社会の実現に向けた重要なドライバーとなり得ます。公用車、公共施設、再生可能エネルギー連携、災害対応など様々な領域での導入が期待される一方、初期コスト、インフラ整備、技術標準、人材育成といった課題も存在します。
これらの課題を克服し、公共部門の率先導入を加速するためには、具体的な目標設定、効果的な財政支援、公共調達基準の見直し、規制緩和・基準策定、情報提供・普及啓発、そして国際事例の活用といった多角的な政策アプローチが不可欠です。政策担当者の皆様においては、これらの論点を踏まえ、各部門や自治体の特性に応じた最適な導入戦略と支援策を検討されることが強く期待されます。公共部門が水素経済の「最初の顧客」となり、その導入経験を広く共有することで、日本全体の水素導入拡大に弾みがつくものと考えられます。