国際事例に学ぶ地域連携型水素バリューチェーンの政策課題と展望
はじめに
水素エネルギーの本格的な社会実装には、製造、輸送、貯蔵、そして利用に至るまでのバリューチェーン全体を効率的かつ経済的に構築することが不可欠です。このバリューチェーン構築において、特定の地域における資源(再生可能エネルギー賦存量など)、既存産業、インフラ、そして需要の特性を考慮した「地域連携」の重要性が高まっています。国全体の政策目標達成に向けた取り組みに加え、地域の実情に即した連携体制をいかに構築し、政策的に支援していくかは、エネルギー政策担当者にとって重要な検討課題の一つと考えられます。
本稿では、水素バリューチェーン構築における地域連携の意義を確認するとともに、海外主要国における取り組み事例を紹介し、そこから得られる政策的な示唆、および今後の展望について考察します。
水素バリューチェーン構築における地域連携の重要性
水素バリューチェーンは、その性質上、地理的な要素と密接に関わります。例えば、再生可能エネルギーを用いた水素製造(グリーン水素)は、再エネ電源の豊富な地域で効率的に行われます。また、製造された水素を消費地へ輸送・貯蔵するためには、パイプラインやターミナル、貯蔵施設といったインフラが必要です。さらに、特定の産業(製鉄、化学、石油精製など)が集積する地域では、大量の水素需要が見込まれます。
こうしたバリューチェーン上の各要素を、地域内で効率的に結びつけることには、以下のようなメリットが考えられます。
- コスト効率の向上: 製造地と消費地を近接させることで、輸送・貯蔵コストを削減できます。また、地域内の既存インフラ(電力網、ガスパイプラインなど)や産業インフラを活用することで、新規投資の負担を軽減できる可能性があります。
- 地域資源の有効活用: 特定地域に豊富に存在する再生可能エネルギーや未利用エネルギー(工場の副生ガスなど)を水素製造に最大限活用できます。
- 地域産業の活性化と雇用創出: 水素関連産業(製造、インフラ建設・保守、利用技術開発など)の集積は、新たな産業クラスターを形成し、地域経済の活性化や雇用創出に貢献することが期待されます。
- 早期の社会実装: 小規模でも地域内で完結するバリューチェーンを構築することで、技術実証や需要開拓を迅速に進め、全国的な展開に向けた知見を蓄積できます。
海外主要国における地域連携型バリューチェーン構築事例
多くの国が水素戦略を推進する中で、地域特性を活かしたバリューチェーン構築の取り組みが進められています。いくつかの事例を紹介します。
ドイツ:産業集積地における水素エコシステムの構築
ドイツは、ルール地方などの産業集積地を中心に、既存のガスインフラを活用した水素供給網の構築や、製鉄・化学産業における水素利用の実証プロジェクトを進めています。これらの地域では、産業部門における水素需要が高いことに加え、既存のインフラや技術的な知見が蓄積されているため、早期の水素利用拡大が期待されています。地域レベルでの企業間連携や自治体との協力体制が、プロジェクト推進の鍵となっています。
オーストラリア:大規模グリーン水素ハブの計画
オーストラリアは、豊富な再生可能エネルギー資源を背景に、特に西オーストラリア州やクイーンズランド州などで、輸出を視野に入れた大規模なグリーン水素製造・輸出ハブの構築を目指しています。これらの地域では、大規模な再エネ発電所と連携した電解プラントの建設、港湾インフラの整備などが一体的に進められています。地域が持つ再エネポテンシャルと、国際市場へのアクセスという地理的優位性を最大限に活かした取り組みと言えます。
アメリカ:地域水素ハブ(H2Hubs)プログラム
アメリカは、インフラ投資雇用法に基づき、全米で6〜10ヶ所の地域水素ハブを設立するための資金支援(総額80億ドル)を計画しています。このプログラムは、様々な地域特性(再生可能エネルギー資源、既存産業、インフラ、地理的条件など)に応じた多様な水素バリューチェーンを構築することを目的としています。選定された各ハブでは、製造、輸送、貯蔵、利用といったバリューチェーン全体を地域内で連携させるための具体的な計画が策定されており、地域主導の取り組みを連邦政府が支援する形となっています。
国際事例から学ぶ政策的な示唆
これらの海外事例からは、日本の政策立案にとって重要な示唆が得られます。
- 多様な地域特性への対応: 一律の政策ではなく、各地域の再エネポテンシャル、産業構造、既存インフラ、地理的条件などを考慮した、地域ごとの特性に応じたきめ細かな政策支援が求められます。
- インフラ整備と需要創出の一体的な推進: 水素製造能力を高めるだけでなく、それを輸送・貯蔵し、最終的に利用するまでのインフラ整備と需要創出を地域内でバランス良く進めることが重要です。政策支援も、製造、輸送、利用の各段階で連携して行う必要があると考えられます。
- 地域主体での計画策定と中央政府による支援: アメリカのH2Hubsプログラムのように、地域が主体となって具体的なバリューチェーン構築計画を策定し、国が資金的、制度的な支援を行うという形が効果的である可能性があります。地域内の多様なステークホルダー(自治体、企業、研究機関、住民)の連携を促進する仕組みも重要です。
- 規制緩和と標準化: 新しい技術やインフラの導入を円滑に進めるためには、地域レベルおよび国レベルでの規制の見直しや、技術・安全基準の標準化が不可欠です。
- 国際的な連携: 地域によっては、水素の輸出入を見据えた国際的なサプライチェーンの一部となる可能性もあります。海外の港湾ハブなどとの連携も視野に入れる必要があると考えられます。
日本における地域連携の展望
日本においても、国土の多様性や地域ごとの産業構造を考慮すると、地域連携型の水素バリューチェーン構築は非常に有効なアプローチと言えます。例えば、再生可能エネルギー資源が豊富な地域でのグリーン水素製造、既存の石油化学コンビナートや製鉄所が立地する地域での産業用水素利用、港湾地域での輸入水素の受け入れと供給など、それぞれの地域が持つ強みを活かした取り組みが考えられます。
今後の政策展開においては、以下の点が重要となるでしょう。
- 地域ごとのポテンシャル評価と目標設定: 各地域の再生可能エネルギーポテンシャル、既存インフラ、産業構造などを詳細に評価し、地域特性に応じた現実的かつ野心的な水素導入目標を設定することが、具体的な連携計画策定の起点となります。
- ステークホルダー間の連携促進: 異なる業界の企業、自治体、研究機関、金融機関など、多岐にわたるステークホルダー間の対話を促進し、共通認識の形成と連携体制の構築を支援する仕組みが必要です。
- 資金支援とリスク低減: 地域レベルでの大規模プロジェクトには、初期投資への資金支援や、需要変動リスク、技術リスクに対する政策的なリスク低減策が不可欠です。
- 情報共有とベストプラクティスの普及: 先進的な地域連携事例や技術開発の最新情報を広く共有し、他の地域が参考にできるベストプラクティスを普及させることも重要です。
結論
水素エネルギーによる脱炭素社会の実現に向けては、国全体の戦略とともに、地域ごとの実情に即したバリューチェーン構築が不可欠です。海外主要国の事例は、地域特性を活かした連携、インフラ整備と需要創出の一体推進、地域主体での計画策定と中央政府の支援というアプローチが有効であることを示唆しています。
日本においても、各地域のポテンシャルを最大限に引き出し、多様なステークホルダー間の連携を促進する政策を通じて、地域連携型の水素バリューチェーンを戦略的に構築していくことが、効率的で早期な水素社会実現への鍵となるものと考えられます。今後の政策立案においては、国内外の最新動向や成功・失敗事例を継続的に分析し、地域特性に応じた柔軟かつ実効性のある支援策を検討していくことが求められます。