水素製造における水資源利用の現状と課題:政策立案に向けた論点
はじめに
水素エネルギーは、脱炭素社会実現に向けた重要な選択肢として世界的に注目されています。水素製造技術は多様であり、それぞれ異なるプロセスを経て水素が生成されます。その多くの製造プロセスにおいて、水は不可欠な資源として利用されています。特に、再生可能エネルギー由来の電力を用いた水電解によるグリーン水素製造の拡大が見込まれる中、水資源の確保と効率的な利用は、水素製造能力の拡大を左右する重要な要素となりつつあります。
しかしながら、世界の水資源は均一に分布しているわけではなく、気候変動の影響による水不足リスクも増加しています。このため、水素製造の推進にあたっては、水資源の現状、利用に伴う技術的・環境的課題、そしてそれらを踏まえた政策的検討が不可欠です。
本稿では、主要な水素製造技術における水資源の利用状況を概観し、関連する技術的・地域的な課題を整理します。さらに、政策担当者が水素導入拡大戦略を立案する上で考慮すべき水資源に関する重要論点について解説します。
水素製造技術における水資源利用
現在主流、あるいは今後の拡大が見込まれる水素製造技術と、その水資源の利用方法は以下の通りです。
- 水電解: 再生可能エネルギー電力などを利用し、水を電気分解して水素と酸素を生成する技術です。アルカリ水電解、固体高分子形水電解(PEM)、固体酸化物形水電解(SOEC)などがありますが、いずれも原料として純水(またはそれに近い水質)が必要です。大量の水素を製造する場合、相当量の水が必要となります。理論的には1 kgの水素製造に約9 kgの水が必要ですが、現実のプラントでは効率や冷却水なども含め、より多くの水を使用する場合があります。特にグリーン水素製造は再エネ適地(砂漠地帯や乾燥地域など)で大規模に行われる可能性があり、安定的な水供給が課題となるケースが考えられます。
- 化石燃料由来の水素製造(SMRなど): 天然ガスなどを水蒸気改質(Steam Methane Reforming; SMR)して水素を製造する技術です。水蒸気として水が利用されます。大規模な水素製造能力がありますが、製造プロセス自体でCO2が発生するため、カーボンリサイクルやCCUS(Carbon Capture, Utilization and Storage)との組み合わせが重要となります。こちらも一定量の水資源を必要としますが、電解と比較すると純度要求は低い傾向があります。
- バイオマスガス化: 木質チップや農業残渣などのバイオマスをガス化して水素を製造する技術です。水蒸気を反応に用いる場合があります。バイオマスの入手性だけでなく、水資源の利用可能性も立地選定に関わります。
- その他の技術: 将来的な技術として、高温ガス炉による熱化学法など、水を分解して水素を製造する方法も研究されています。
水資源に関する技術的・地域的課題
水素製造、特に水電解による大規模製造において、水資源はいくつかの課題を抱えています。
- 水質要件と前処理: 水電解には高純度の水が必要なため、使用する水の水質に応じた高度な前処理(ろ過、脱塩、イオン交換など)が必要です。これにより、水の供給コストが増加するほか、前処理設備自体のエネルギー消費や維持管理も考慮する必要があります。
- 水消費量と地域差: 大規模な水素製造プラントは相当量の水を消費します。特に、水資源が限られている地域や、気候変動により水不足のリスクが高まっている地域では、既存の農業、工業、生活用水との競合が生じる可能性があります。
- 再生可能エネルギー適地との矛盾: 大規模なグリーン水素製造は、太陽光や風力などの再生可能エネルギーが豊富に得られる地域で行われることが期待されます。しかし、これらの再エネ適地が必ずしも水資源に恵まれているわけではありません。乾燥地帯や内陸部での大規模製造には、水の供給インフラや新たな水源確保が課題となります。
- 海水淡水化の課題: 沿岸部であれば海水淡水化による水の確保が考えられますが、淡水化プラントは建設・運転コストが高く、大量のエネルギーを消費します。また、濃縮された排水の処理も環境面での課題となります。
- 排水・廃水の再利用: 水素製造プロセスで発生する排水や冷却水の再利用は、水資源の効率的利用として有効ですが、水質に応じた処理技術が必要となります。
政策担当者が考慮すべき論点
これらの技術的・地域的課題を踏まえ、水素導入拡大を推進する政策担当者は、以下の論点を考慮する必要があります。
- 水資源アセスメントと立地計画: 水素製造プロジェクトの計画段階において、候補地の水資源量、利用可能な水質、既存の他の水需要との競合リスクなどを詳細にアセスメントする仕組みの構築が必要です。地域の水資源管理計画と水素プロジェクトの整合性を図るためのガイドライン策定なども有効と考えられます。
- 水利用効率化技術の開発・導入促進: 水電解槽自体の水利用効率向上や、排水・廃水の高度処理・再利用技術、海水淡水化コスト低減技術などの研究開発への支援が必要です。また、これらの高効率技術の導入を促進するための政策インセンティブ(補助金、税制優遇など)の検討も重要です。
- 水資源管理政策との連携: 水素製造に必要な水資源確保は、単にエネルギー政策だけでなく、国土交通省や環境省など、水資源管理や環境規制を所管する省庁との密接な連携が必要です。水利権調整、地下水利用規制、排水基準など、既存の規制や慣行との整合性を図る必要があります。
- 国際的な水資源課題への対応: 海外からの水素輸入を検討する場合、生産国における水資源の状況や、それが現地の環境・社会に与える影響も考慮に入れる必要があります。国際的な水資源に関する知見の共有や、持続可能な水利用を前提とした水素サプライチェーン構築に向けた国際協力の推進も視野に入れるべきです。
- 地域レベルでの合意形成: 大規模な水素製造プラントやそれに伴う水供給インフラの整備は、地域住民の理解と合意形成が不可欠です。水資源利用に関する透明性の高い情報提供や、地域へのメリットの提示など、社会受容性を高めるための丁寧なコミュニケーションが求められます。
結論
水素製造能力の拡大は、脱炭素社会の実現に向けた重要なステップですが、その基盤となる水資源の確保と持続可能な利用は避けて通れない課題です。特に、再生可能エネルギー由来のグリーン水素製造が普及するにつれて、水資源の制約がボトルネックとなる可能性が高まります。
政策担当者は、水素製造技術の種類に応じた水利用特性を理解し、国内外の水資源の偏在性や水不足リスクを考慮に入れた政策を立案する必要があります。具体的には、水資源アセスメントに基づく適切な立地選定、水利用効率化技術の開発・導入支援、関係省庁との連携による水資源管理政策との整合性確保、国際的な水資源課題への対応、そして地域レベルでの合意形成などが、今後の水素導入拡大戦略において不可欠な論点となります。
水資源を持続可能かつ効率的に利用するための多角的な政策アプローチは、水素経済の安定的な発展を支える基盤となると考えられます。